第1章

「こんにちは、トラパパです。今日は少しだけ、僕自身の話をさせてください。」
こんにちは!「トラパパ@サバイバルナース」です!🐾
現役男性看護師18年目、転職を6回経験し、現在は精神科病院で働いています。
この記事は、看護師としてのノウハウを書く記事ではありません。
転職サイトを紹介する記事でもありません。
精神科の魅力だけを語る記事でもありません。
今日は、「トラパパという一人の看護師が、40歳になるまでに最後にたどり着いた答え」を書こうと思います。
この記事を読むことで、あなたの転職が決まるわけではないかもしれません。
明日から急に仕事が楽になるわけでもありません。
でも、もし今、
- 看護師を辞めたい。
- 毎日仕事へ行くのがつらい。
- 家族との時間が取れない。
- 男性看護師として孤独を感じている。
- このまま今の職場で働き続けていいのか分からない。
そんな思いを抱えているなら、少しだけ時間をください。
私は18歳で看護師の道へ進みました。
工業高校を卒業した、ごく普通の少年です。
母子家庭で育ち、決して裕福とは言えない家庭でした。
工業高校を卒業すれば、そのまま働く友人も多い環境でした。
そんな中で私が選んだ道は、「看護師になる」という選択でした。
それから22年。
准看護学校。
正看護学校。
お礼奉公。
急性期病院。
回復期リハビリ病棟。
主任。
認定看護師。
精神科。
病院崩壊。
男性育休。
そして現在。
振り返れば、本当にたくさん遠回りをしました。
転職は6回。
ブラック病院も経験しました。
サービス残業が当たり前の病院もありました。
円形脱毛症になるほど仕事に追われた時期もありました。
職場恋愛で居場所を失い、転職したこともあります。
主任として評価され、認められた一方で、家族との時間を失いそうになったこともありました。
「看護師だから仕方ない。」
そう自分に言い聞かせながら働いていた時代もあります。
でも、40歳になった今。
私は一つだけ、自信を持って言えることがあります。
仕事は人生のおまけです。
初めてこの言葉を聞いた人は、「そんな考え方でいいの?」と思うかもしれません。
看護師という仕事は尊い仕事です。
命を預かる責任があります。
患者さんや家族から「ありがとう」と言われることもあります。
私自身、この仕事に誇りを持っています。
だからこそ、誤解してほしくありません。
私は「仕事なんて適当でいい」と言いたいわけではありません。
仕事は大切です。
でも、もっと大切なものがあります。
それが、私にとっては家族でした。
仕事は、大切な人を守るための手段。
人生の主人公は仕事ではありません。
家族です。
自分自身です。
大切な人との時間です。
私は、それに気付くまで18年以上かかりました。
だからこの記事では、
「転職6回して成功した話」
を書くのではありません。
「精神科が楽だった」
という話だけでもありません。
私が18歳から40歳になるまでに経験した失敗、後悔、苦しみ、喜び、そして家族との時間を通して見つけた、一つの答えを書き残そうと思います。
もしかしたら、今のあなたが抱えている悩みと重なる部分があるかもしれません。
もしこの記事を読み終えたあと、
「もう少しだけ頑張ってみよう。」
「家族との時間をもっと大切にしよう。」
「転職は逃げじゃないのかもしれない。」
そんなふうに思ってもらえたら、これ以上うれしいことはありません。
それでは、私の18歳からの物語をお話しします。
「もし今のあなたが人生の交差点に立っているなら、この物語は、きっとあなたの物語でもあります。」
第2章 18歳の僕は、まさか22年後にこんな人生を歩んでいるなんて思ってもいなかった。

18歳。
工業高校を卒業した僕は、周りの友人たちとは少し違う道を選びました。
「看護師になる。」
今でこそ看護師は僕の人生そのものですが、当時は決してエリートコースを歩んでいたわけではありません。
母子家庭で育ち、裕福な家庭ではありませんでした。
だからこそ、「早く自立したい」「母の力になりたい」という気持ちは人一倍強かったと思います。
准看護学校へ進学し、週末は病院で働き、平日は学校へ通う生活が始まりました。
学校で勉強したことを週末には病院で実践する。
病院で分からなかったことを学校で学ぶ。
毎日がその繰り返しでした。
忙しかった。
正直、大変でした。
でも、不思議と「辞めたい」とは思いませんでした。
それよりも、「昨日できなかったことが今日できるようになった」という小さな成長が嬉しかったのです。
患者さんから「ありがとう」と言われるたびに、この仕事には人の人生に関わる大きな意味があるんだと感じていました。
そして20歳。
准看護師免許を取得し、正看護学校へ進学しました。
昼間病院で勤務し、夜間学校の授業を受ける。週末は病院で夜勤の生活に変わりました。
さらに勉強は難しくなり、実習も増えました。
仕事との両立は決して楽ではありません。
友達と遊ぶ時間も少なく、世間一般の学生生活とは程遠い毎日でした。
それでも、「もっと知りたい」「もっと看護を学びたい」という気持ちは少しずつ大きくなっていました。
23歳で正看護師免許を取得。
長かった学生生活もようやく終わりました。
でも、僕の中ではすでに一つの決意がありました。
「お礼奉公が終わったら、必ず転職する。」
病院への不満ではありません。
もっと急性期で勉強したかった。
もっと広い世界を見たかった。
そして、もう一つ大きな理由があります。
一人暮らしがしたかった。
実家は自然が多い田舎でした。
不自由だったわけではありません。
でも、若かった僕は都会への憧れがありました。
栄えている街。
車社会。
新しい土地。
知らない人ばかりの環境。
「自分一人の力で生活してみたい。」
そんな気持ちがどんどん強くなっていったのです。
母も背中を押してくれました。
「一人暮らしをして、自分の力で生きていけるようになりなさい。」
母子家庭で育ててもらった僕にとって、その言葉は大きな後押しになりました。
だから24歳、お礼奉公が終わると同時に、迷わず転職活動を始めました。
今振り返ると、本当に何も知らない若者でした。
急性期とはどんな職場なのか。
どんな病院が自分に合うのか。
転職活動はどう進めればいいのか。
何一つ分かっていませんでした。
だから、人生で初めて転職サイトに登録しました。
希望条件も今思えば曖昧です。
「急性期で働きたい。」
「栄えている街がいい。」
「車社会がいい。」
「一人暮らししやすい場所がいい。」
それだけでした。
それでも担当のキャリアアドバイザーは、嫌な顔一つせず、一緒に病院を探してくれました。
面接当日は現地まで同行してくれました。
初めて訪れる土地のことを教えてくれました。
教育体制も確認してくれました。
一人暮らしを始める僕の生活まで気に掛けてくれました。
内定を辞退する病院への連絡も代わりにしてくれました。
そして入職後も、
「困っていることはありませんか?」
と連絡をくれました。
社会人経験も少なく、不安だらけだった僕にとって、その存在は本当に心強かったことを今でも覚えています。
だから今でも私は思います。
転職サイトは「仕事を紹介してくれるサービス」ではありません。
人生の分岐点で伴走してくれる存在なんです。

もちろん、この後の人生では、転職で失敗もしました。
ブラック病院にも入りました。
担当者のアドバイスを聞かずに後悔したこともあります。
でも、その失敗も含めて、今の私があります。
24歳のあの日。
勇気を出して一歩踏み出したからこそ、今の人生につながっている。
だから今、転職を迷っているあなたにも伝えたい。
転職は人生をリセットすることではありません。
転職は人生を、自分で選び直すことです。
第3章 仕事に追われる毎日が、「仕事は人生のおまけ」という答えを教えてくれた。
24歳で急性期病院へ転職した私は、毎日が新しい経験の連続でした。
療養型病院では経験できなかった世界が、そこにはありました。
病棟だけではありません。
内視鏡室。
放射線科。
救急外来。
夜間救急。
急変対応。
「こんなことまで看護師がやるんだ。」
毎日が刺激的で、夢中で働いていました。
病棟には年齢の近い男性看護師が一人いて、仕事を教えてもらったり、仕事終わりに飲みに行ったり。
初めての一人暮らし。
初めての急性期。
不安だらけの環境でしたが、その先輩や仲間のおかげで乗り越えることができました。
今振り返っても、この病院で経験したことは、今の私の看護の土台になっています。
しかし、人生は思いどおりにはいきません。
職場恋愛。
そして別れ。
その後、事実ではない噂まで広まり、病棟での居場所を失ってしまいました。
「ここで働き続けるのは難しい。」
そう思い、2回目の転職を決意しました。
今度は電車通勤への憧れ。
都会への憧れ。
「今度こそ理想の働き方ができる。」
そう思って選んだ病院でした。
でも現実は違いました。
毎朝の満員電車。
雨の日も、真夏も、真冬も駅まで歩く毎日。
車社会で育った私には、その生活は想像以上に苦痛でした。
「仕事帰りに街へ寄って買い物をしたり、ご飯を食べたり。」
そんな憧れも、仕事が終わる頃には疲れ切っていて、結局まっすぐ家へ帰る毎日。
「あれ?思っていた生活と違う。」
その経験から学んだのは、憧れだけでは幸せになれないということでした。
それでも、この病院では急変対応を数え切れないほど経験しました。
冷静に指示を出しながら患者さんを救う医師。
必死に動く看護師。
この経験は、今でも精神科で急変対応をするときの大きな支えになっています。
そして、3回目の転職。
ここが、私の看護師人生で一番の失敗でした。

ドラマの撮影にも使われるような、大きくてきれいな病院。
「あんな病院で働けたらかっこいい。」
そんな気持ちが先に立ってしまいました。
転職エージェントは、ちゃんと教えてくれていました。
「かなり忙しい病院ですよ。」
でも私は、その言葉を聞き流してしまったのです。
「憧れ」のほうが大きかったから。
結果は、想像をはるかに超えるブラックな職場でした。
サービス残業は当たり前。
始業前の朝礼。
朝早くからの情報収集。
夜勤明けでも夕方まで働くスタッフ。
満床を超える患者さんを受け入れる病棟。
ナースステーションや処置室が病室代わりになる異常な光景。
毎日、「今日も無事に終わってくれ」と願いながら働いていました。
この病院で学んだことは、看護技術ではありません。
「病院は外から見ただけでは分からない」ということ。
きれいな建物。
有名な病院。
それだけで職場を選んではいけない。
働く人の表情。
離職率。
教育体制。
人間関係。
そういう「中身」のほうが、何倍も大切なのだと身をもって知りました。
この経験があったからこそ、私は今、読者の皆さんに「内部情報を知ることの大切さ」を自信を持って伝えられます。
失敗は、決して無駄ではありませんでした。
そして4回目の転職。
私は回復期リハビリ病棟を選びました。
ここで初めて、患者さんを「病気」ではなく「人生」として見る看護を学びました。
急性期では、病気を治すことが中心でした。
でも回復期では違います。
「この人は家に帰ってから、どう生活するんだろう。」
「家族は介護できるだろうか。」
「自宅で安全に暮らせるだろうか。」
患者さんの生活そのものを考えるようになりました。
家屋訪問に行き、手すりの位置を考えたり。
ご家族と何度も話し合ったり。
退院後の生活を支えるために、多職種と力を合わせたり。
私はここで、看護の奥深さを知りました。
認定看護師にも挑戦しました。
主任にもなりました。
病棟運営にも携わりました。
「必要とされている。」
「認められている。」
そう感じる場面もたくさんありました。
でも、その裏側で少しずつ失っていたものがあります。
家族との時間でした。
毎日のように残業。
休日でも仕事のことを考える。
新人とベテランの板挟み。
終わらない相談。
責任。
期待。
気が付けば、円形脱毛症になっていました。


「ここが人生で一番辛かった時期でした。」
仕事は順調でした。
でも、人生は順調ではありませんでした。
私はようやく気付いたのです。
仕事で評価されることと、人生が幸せになることは、必ずしも同じではない。
そのとき初めて、私は自分自身に問いかけました。
「自分は何のために働いているんだろう。」
その答えは、意外なほどシンプルでした。
家族を幸せにするため。
それだけだったのです。
「気付けば、仕事のために家族を犠牲にしていました。本当は、その逆だったはずなのに。」
第4章 精神科へ転職して、私は「仕事より大切なもの」に気付いた。
主任を辞める決断は、簡単ではありませんでした。
認定看護師を取得し、主任という役職も任されました。
病棟運営も少しずつ軌道に乗り始めていました。
「もう少し頑張れば、もっと良い病棟にできる。」
そんな思いもありました。
でも、その一方で、家に帰ると疲れ切っていました。
子どもと遊ぶ体力も残っていない。
休日でも仕事のことばかり考えている。
「この資料を作らなきゃ。」
「あの新人さん、大丈夫かな。」
「あのお局さんはどう対応しよう。」
頭の中は、いつも病院でした。
ある日、ふと子どもたちの寝顔を見ながら思いました。
「この子たちが大きくなった時、僕は何を覚えているんだろう。」
病棟のこと?
会議のこと?
残業した日々?
それとも、家族と笑い合った時間?
答えは、考えるまでもありませんでした。
私は仕事のために生きているわけじゃない。
家族と幸せに生きるために仕事をしているんだ。
その瞬間、転職することを決めました。
初めての精神科。
・精神科で知った「普通の幸せ」
正直、不安はありました。
精神科経験はゼロ。
「自分に務まるのかな。」
そんな気持ちもありました。
でも、転職して驚きました。
男性看護師が多い。
相談できる仲間がいる。
残業も少ない。
仕事が終われば、ちゃんと家に帰れる。
最初は戸惑うこともありました。
身体科とは違う看護。
患者さんとの距離感。
精神科ならではの考え方。
覚えることもたくさんありました。
でも、不思議と毎日が楽しかった。
「看護師って、こんなに心に余裕を持って働けるんだ。」
そう思えたのは、この病院が初めてでした。
そして何より大きかったのは、家族との時間です。

「ここで人生が変わりました。」
夕飯を一緒に食べる。
休日に子どもと公園へ行く。
妻と何気ない会話をする。
子どもたちとお風呂に入る。
どれも特別なことではありません。
でも、以前の私には、それが当たり前ではありませんでした。
「以前の私は、『何気ない毎日』こそが、一番幸せだということを知りませんでした。」
家族との時間が増えるだけで、人生の満足度はこんなにも変わるんだ。
私は毎日のようにそう感じていました。
「転職して本当に良かった。」
心からそう思っていました。

・病院崩壊が教えてくれたこと
しかし、人生はまた私に試練を与えます。
入職から半年ほど経った頃でした。
突然、
「病院の経営が変わります。」
という発表がありました。
最初は、「経営者が変わるだけだろう。」と思っていました。
ところが現実は違いました。
管理職が辞めていく。
医師が辞めていく。
看護師が辞めていく。
仲の良かった男性看護師も、次々と病院を去っていきました。
患者さんも転院し、病院全体が少しずつ崩れていく。
その光景を、私は何もできず見ているしかありませんでした。
精神科なのに精神科医がいない日。
コロナが病棟で広がり、日勤の看護師が一人だけの日。
「本当にこの病院、大丈夫なんだろうか。」
そんな不安を抱えながら働いていました。
それでも、残ったスタッフは誰一人として患者さんを見捨てませんでした。
「大変だけど、みんなで頑張ろう。」
そんな空気が病棟にはありました。
人は減っても、人の温かさだけは減らなかった。
私はその職場が好きでした。
・男性育休で気づいたこと
そんな中、三男が生まれることになり、私は男性育休を取得する予定でした。
ところが、育休の手続きを進めてくれていた事務職員が退職してしまい、引き継ぎがされていなかったのです。
「えっ?育休ですか?」
新しい担当者からそう言われた時は、本当に焦りました。
でも、その担当者は嫌な顔一つせず、一生懸命対応してくれました。
そして病棟の仲間たちも、
「おめでとう。」
「しっかり奥さんを支えてきてね。」
と笑顔で送り出してくれました。
私は、その言葉が本当にうれしかった。
「こんな状況なのに、人を応援できる人たちなんだ。」
そう思いました。
育休の3か月間。
私は人生で一番濃い時間を過ごしました。
夜中の授乳。
オムツ交換。
寝不足の日々。
でも、不思議と幸せでした。
仕事では得られない幸せが、そこにはありました。

育休から復帰すると、病院の状況は変わっていませんでした。
さらに給与も下がりました。
ここで私は、もう一度大きな決断をします。
「また転職しよう。」
好きな仲間がいました。
辞めたら迷惑をかけることも分かっていました。
何度も悩みました。
でも、最後に考えたのは、やっぱり家族でした。
私には、守るべき人がいる。
そのために働いている。
だから、家族を守れない働き方を続ける理由はありませんでした。
私は再び転職活動を始めました。
そして現在の精神科病院に出会います。
ここで私は、ようやく心から思える職場に出会いました。
定時で帰れる。
有給が取りやすい。
夜勤でもしっかり休める。
男性看護師も多い。
人間関係も良い。
子どもの体調不良で休むことにも理解がある。
そして、これまでで一番給与も良かった。
もちろん、どんな病院にも課題はあります。
完璧な職場なんてありません。
でも、この病院で私は初めて思えたのです。
「看護師として働くこと」と「家族を大切にすること」は両立できる。
そう。
私は精神科で人生を変えたのではありません。
働き方を変えたことで、人生が変わったのです。
そして40歳になった今、自信を持って言える言葉があります。
仕事は人生のおまけ。
仕事は人生の主人公ではありません。
仕事は、大切な人を守るための手段です。
そのことを教えてくれたのは、6回の転職でも、精神科でもありません。
家族でした。
「幸せは、給料明細の中にはありませんでした。
毎日の『おかえり』の中にありました。」
第5章 18歳の自分へ。そして、今悩んでいるあなたへ。
もし今、18歳の自分に会えるなら、私は迷わず抱きしめます。
そして、こう伝えます。
「よく頑張った。」
工業高校を卒業して、周りとは違う道を選んだこと。
週末は病院で働き、平日は学校へ通ったこと。
眠い目をこすりながら勉強した日々。
国家試験に向けて必死に机へ向かった時間。
急性期で必死に走り回ったこと。
ブラック病院で心が折れそうになったこと。
主任として悩み続けたこと。
円形脱毛症になるまで仕事を抱え込んだこと。
精神科へ飛び込む勇気を出したこと。
病院崩壊という経験をしたこと。
育休を取得したこと。
子どもの入院で涙を流したこと。
その全部が、今の私につながっています。
だから18歳の自分に言います。
「これからたくさん苦労する。でも、それ以上に幸せなことが待っている。」
そして、今この記事を読んでいるあなたにも伝えたいことがあります。
もしかすると今、
毎日辞めたいと思いながら働いているかもしれません。
毎朝、仕事へ行くのが苦痛かもしれません。
男性看護師として孤独を感じているかもしれません。
家庭より仕事を優先しなければならない現実に苦しんでいるかもしれません。
私も全部経験しました。
だから、その苦しさは少しだけ分かるつもりです。
でも、一つだけ言えることがあります。
今の職場が、あなたの人生のすべてではありません。
私は6回転職しました。
世間から見れば、多いと思います。
「転職しすぎじゃない?」
そう言われたこともあります。
でも私は、その6回を後悔していません。
なぜなら、どの転職も「逃げ」ではなく、「人生をより良くするための選択」だったからです。
ブラック病院で働いたからこそ、職場を見る目が養われました。
主任を経験したからこそ、責任の重さと人を育てる難しさを知りました。
精神科へ来たからこそ、働き方次第で人生は大きく変わることを知りました。
病院崩壊を経験したからこそ、内部情報の大切さを知りました。
子どもの入院を経験したからこそ、「家族が元気でいてくれること」が何より幸せだと気付きました。
だから私は、自分の人生に後悔がありません。
成功したからではありません。
失敗を経験に変えてきたからです。
「人生は失敗の数で決まるんじゃない。その失敗から何を持ち帰ったかで決まる。」
私は昔から、自分にこう言い聞かせてきました。
人は変えられない。自分が変われ。
どうにかなる。どうにでもなる。
ポジティブに前を向け。
そして今、一番大切にしている言葉があります。
仕事は人生のおまけ。
誤解しないでください。
仕事を軽く考えているわけではありません。
私は看護師という仕事に誇りを持っています。
患者さんと向き合う時間も好きです。
この仕事だからこそ出会えた人もたくさんいます。
でも、人生の主人公は仕事ではありません。
家族です。
あなた自身です。
大切な人との時間です。
仕事は、それらを守るための手段です。
もし今の仕事が、その大切なものを壊してしまうなら。
一度立ち止まって考えてみてください。
「この働き方で、本当に幸せになれるのかな。」
と。
答えは、他人が決めるものではありません。
あなた自身が決めるものです。
私は転職を勧めたいわけではありません。
今の職場が好きなら、その職場で頑張ることも素晴らしい選択です。
でも、もし毎日泣きながら働いているなら。
家族との時間を犠牲にしているなら。
心や身体が悲鳴を上げているなら。
どうか、「転職」という選択肢があることだけは忘れないでください。
転職は逃げではありません。
自分と大切な人を守るための勇気ある決断です。
私はその一歩を踏み出したことで、今があります。
今では、子どもたちとサッカーをしたり、庭で遊んだり、休日には家族で出かけたり。
たまには、大好きなバイクでツーリングに行く時間もあります。
そんな何気ない毎日が、私にとっては最高の幸せです。
そして、このブログを書いている今も、私は幸せです。
収益を得たい。
それは本音です。
子どもたちにいろいろな経験をさせてあげたい。
家族ともっとたくさん旅行へ行きたい。
両親にも恩返しをしたい。
そのためにブログを始めました。
でも、ブログを続けるうちに、もう一つ夢ができました。
悩んでいる看護師さんの力になりたい。
「あの記事を読んだから、一歩踏み出せた。」
「トラパパの記事に救われた。」
そんな人が一人でもいてくれたら、これ以上うれしいことはありません。
だから私は、これからもこのブログを書き続けます。
経験も、失敗も、成功も、全部隠さずに。
一人の現役男性看護師として。
そして、一人の父親として。
あなたの人生が、今より少しでも笑顔の多いものになりますように。
心から願っています。
エピローグ 人生は、一度きりだから。
18歳の頃の私は、40歳の自分がこんな人生を歩んでいるなんて想像もしていませんでした。
転職を6回することも。
主任になることも。
円形脱毛症になることも。
精神科へ転職することも。
男性育休を3か月取得することも。
3人の息子の父親になることも。
そして、このブログを書いていることも。
人生は本当に分かりません。
だからこそ私は思います。
未来は予測するものではなく、自分で選び続けるものなんだ。
今振り返れば、私の人生には「正解」だった選択はありませんでした。
その時、その時の自分が一生懸命考えて選んだ道。
その積み重ねが、今の私をつくっています。
だから、過去の自分を責めることもありません。
「あの転職は失敗だった。」
「あの病院に行かなければよかった。」
そう思った時期もありました。
でも今は違います。
どの経験も、今の幸せにつながるために必要だった。
そう心から思えます。
だからあなたにも伝えたい。
もし今、悩んでいるなら。
立ち止まっていてもいい。
迷ってもいい。
失敗してもいい。
でも、自分の人生だけは諦めないでください。
仕事は変えられます。
職場も変えられます。
働き方も変えられます。
でも、あなたの人生は一度しかありません。
だからこそ、
あなたにとって本当に大切なものを、仕事で失わないでください。
「人生は一度きりです。でも、働き方は何度でも選び直せます。」
それが、この18年間で私がたどり着いた答えです。
このブログで、これから伝えていきたいこと
このブログでは、これからも私の実体験をもとに、
- 男性看護師だからこそ感じた悩み
- 転職6回で学んだ失敗と成功
- 精神科で見つけた働き方
- 家族との時間を大切にする考え方
- 男性育休のリアル
- ブラック病院を見抜く方法
- 看護師として後悔しないキャリアの選び方
を、本音で発信していきます。
良いことだけを書くつもりはありません。
失敗したことも、恥ずかしかったことも、遠回りしたことも、全部書きます。
その経験が、誰か一人の「明日を少し楽にするヒント」になると信じているからです。
もし今、転職を迷っているなら
私は「今すぐ転職してください」とは言いません。
でも、情報だけは集めておいてほしいと思っています。
私自身、6回の転職で何度も転職サイトを利用しました。
面接に同行してもらったこと。
病院の内部情報を教えてもらったこと。
入職後も気にかけてもらったこと。
そして、エージェントの忠告を聞かずに失敗したこと。
そのすべてが、今の私の経験になっています。
だから私は、「転職サイトは転職する人だけが使うもの」ではなく、
「後悔しない選択をするための情報収集ツール」
だと思っています。
今すぐ辞める必要はありません。
まずは、
「自分にはどんな働き方があるんだろう。」
そんな気持ちで情報を集めるだけでも、見える景色は変わります。
最後に

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
この記事を書きながら、18歳の頃から今までの人生を何度も思い返しました。
決して順風満帆ではありませんでした。
でも、今の私は胸を張って言えます。
看護師になって、本当によかった。
そして、
転職してよかった。
精神科へ来てよかった。
家族を優先する選択をしてよかった。
ブログを始めてよかった。
これからも私は、一人の現役男性看護師として、一人の父親として、このブログを書き続けます。
もしまた仕事で悩んだ時。
働き方に迷った時。
人生に少し疲れてしまった時。
そんな時は、いつでもこのブログへ帰ってきてください。
ここには、完璧な看護師はいません。
失敗しながら、悩みながら、それでも前を向いて歩いてきたトラパパがいます。
そして最後に、この言葉をあなたへ贈ります。
仕事は人生のおまけ。
人生の主人公は、あなた自身です。
「そして、あなたの人生を一番大切にできるのは、あなたしかいません。」
一度きりの人生。
どうか、あなたらしい働き方と、あなたらしい幸せを見つけてください。

「もしこの記事が誰か一人の背中を押せたなら、それだけでブログを始めた意味があります。」
また次の記事で、お会いしましょう。
今の職場で悩んでいるあなたへ
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
もし今のあなたが仕事や働き方に悩んでいるなら、一人で抱え込まないでください。
私も転職すると決めたわけではなく、「今の自分にはどんな選択肢があるんだろう?」という気持ちで情報収集を始めました。
その一歩が、今の働き方、そして家族との時間につながっています。
転職は、辞めることが目的ではありません。
自分や家族が笑顔になれる働き方を見つけること。
そのために、まずは無料で求人や職場環境を知ることから始めてみてください。
あなたに合う働き方が、きっとどこかにあります。
🐯 トラパパが実際の転職経験からおすすめする転職サービス

「人生は一度きり。でも、働き方は何度でも選び直せます。」
🌟トラパパおすすめ転職サイト3選

