憧れだけで有名病院を選んだ私が、人生最大の失敗をした話
この記事は、私が29歳で経験した3回目の転職の実話です。病院名を公表することが目的ではなく、同じ失敗を繰り返してほしくないという思いで執筆しています。
こんにちは!「トラパパ@サバイバルナース」です!🐾

第4話は、私の看護師人生で一番後悔した転職のお話です。
「大きくて有名だから安心。」
当時の私は、本気でそう信じていました。
前回の第3話では、
都会への憧れから電車通勤の病院へ転職したお話を書きました。
その病院では急変対応や病状管理を学び、
そして何より、
今の妻と出会うことができました。
だから私は、
あの転職を失敗だったとは思っていません。前回の話はこちら。
でも、その次の転職だけは違いました。
もし今、
29歳の私に一言だけ伝えられるなら、
私は迷わずこう言います。
「その病院だけは、やめておけ。」
そう言い切れるほど、
私の看護師人生で一番苦しかった一年が始まります。
医療ドラマが、私の判断を鈍らせた
29歳になった私は、
急変対応にも少し自信がついていました。
「どこの病院へ行ってもやれる。」
そんな根拠のない自信もありました。
そして、
その頃よく見ていたのが医療ドラマです。
ドラマに出てくる病院は、
どこも綺麗で、
設備が整っていて、
医師も看護師も格好いい。
ヘリポート。
ガラス張りのロビー。
最新の医療機器。
そんな世界を見ながら、
私はいつしか思うようになっていました。
「一度は、あんな病院で働いてみたい。」
周りからも、
「あの有名病院で働いているんだ。」
そう言われたら少し誇らしい。
そんな気持ちもありました。
今思えば、
転職理由としては本当に幼かったと思います。
でも、
29歳の私は本気で憧れていました。

医療ドラマって夢がありますよね。
当時の私は、本当に憧れていました。
エージェントは忠告してくれていた
今回も転職活動では、
転職エージェントを利用しました。
条件は、
- 車で通えること
- 大きくて綺麗な病院
- 医療ドラマに出てくるような病院
今思えば、
よくこんな条件で探してくれたなと思います(笑)。
担当者は、
私の話を否定することなく、
一緒に求人を探してくれました。
そして最初に紹介された病院。
写真を見た瞬間、
私は思いました。
「ここだ。」
まさに私が思い描いていた病院でした。
有名。
綺麗。
大きい。
設備も最新。
私は一瞬で心を奪われました。
でも、
担当者は一つだけ言いました。
「すごく忙しい病院ですよ。」
さらに、
「若手が多いので、既卒者は即戦力として期待されます。」
とも教えてくれました。
でも、
私はその言葉を聞き流していました。
「忙しくても大丈夫。」
「急変対応も経験した。」
「もう新人じゃない。」
そんな自信がありました。
今思うと、
あの時の私は、
病院を見ていたのではありません。
“憧れ”だけを見ていました。

エージェントはちゃんと教えてくれていました。
聞こうとしなかったのは、私だったんです。
面接の日

面接当日。
院内を案内してもらいました。
ロビーへ入った瞬間、
思わず見上げてしまうほど立派な吹き抜け。
テレビで見たことがあるような設備。
最新の医療機器。
広い病棟。
綺麗なナースステーション。
私は完全に舞い上がっていました。
「ここで働ける。」
そのことだけで胸がいっぱいでした。
だから、
面接で何を話したのか、
正直あまり覚えていません。
エージェントが隣でフォローしてくれていたことだけは覚えています。
無事に内定をいただき、
私は迷わず入職を決めました。
あの時の私は、
一つも疑っていませんでした。
「この病院なら間違いない。」
そう信じていました。

「ここで働けるんだ!」
面接よりも、病院を見て興奮していました(笑)
初日に感じた違和感
初出勤の日。
病院は想像通り、
いや、
想像以上に綺麗でした。
廊下は広い。
ナースステーションも広い。
設備も最新。
医師も若く、
病院全体に活気がありました。
でも、
病棟へ入って最初に驚いたことがあります。
若い。
本当に若いんです。
一年目。
二年目。
そんな看護師さんが病棟の半分以上を占めていました。
私は年度途中の入職だったので、
新しく入職したのは私一人。
病棟には男性看護師もいません。
みんな一生懸命働いていました。
でも、
どこか表情が硬い。
先輩へ報告するときも、
必要以上に緊張している。
何となく、
病棟全体に張り詰めた空気が流れていました。

「教育が厳しい病院なのかな?」
この時は、その程度にしか思っていませんでした。
「始業前」が当たり前だった
そして、
入職初日。
私が最初に違和感を覚えた出来事。
それが、
朝礼でした。
病棟勤務は9時始業。
でも、
日勤スタッフは30分前からホールへ集まり、
全体朝礼に参加する決まりでした。
もちろん、
勤務時間ではありません。
残業代も付きません。
私は心の中で思いました。
「始業前なのに?」
でも、
誰一人として疑問を持っている様子はありません。
それが当たり前。
そんな空気でした。
私は、
「病院によって色々違うんだな。」
そのくらいにしか思っていませんでした。
この時はまだ。

他の病院では経験したことがありませんでした。
少し違和感を覚えました。
プリセプターにも違和感
私にもプリセプターが付きました。
でも、
少し不思議でした。
年齢は同じ。
しかも、
入職してまだ半年。
「半年でプリセプター?」
そう思いました。
後から聞くと、
この病院では、
他院経験者には、
同じく他院から来た看護師がプリセプターになる決まりだったそうです。
その時も、
私は少し違和感を覚えました。
でも、
深く考えることはありませんでした。
まだ、
この病院の本当の姿を知らなかったからです。

「何か違う。」
小さな違和感が少しずつ増えていきました。
「何かがおかしい」

でも、
働き始めて数週間。
私は少しずつ気付き始めます。
一年目の看護師さんが、
朝早くから病棟へ来ていること。
夜勤明けなのに、
夕方になっても病棟へ残っていること。
先輩へ報告するたび、
萎縮している姿。
そして、
誰もそれを不思議だと思っていないこと。
私は、
心の中で小さく思いました。
「この病院……何かがおかしい。」
でも、
その時はまだ、
本当の地獄は始まっていませんでした。

この違和感が、
数か月後には確信へ変わります。
「残業」が当たり前の病院でした

この病院へ来て一番驚いたこと。
それは、
始業前残業が当たり前だったことです。
朝礼は始業30分前。
もちろん給与は付きません。
でも、
誰一人として疑問に思っていませんでした。
「そういう病院だから。」
それが答えでした。
もっと驚いたのは、
夜勤明けの若い看護師さん達です。
私が夜勤入りで病棟へ行くと、
その日の夜勤明けの一年目看護師さんがまだ病棟にいる。
「どうしたの?」
そう聞くと、
「急変があって記録が終わらなくて…」
と笑いながら答える。
朝まで働き、
夕方になっても病院にいる。
それが普通の景色でした。
さらに聞いてみました。
「残業代は出るの?」
返ってきた言葉は今でも忘れられません。
「自分が仕事できないから残業になるので、出なくていいんです。」
私は耳を疑いました。
病院がおかしいのか。
教育がおかしいのか。
それとも、
そう思わせてしまう環境がおかしいのか。
答えは今でも分かりません。
でも一つだけ言えることがあります。
これは、私が知っている看護ではありませんでした。

頑張ることは素晴らしい。
でも、頑張り続けることが当たり前になる職場は危険だと今は思います。
若い看護師さん達が壊れていく
病棟には一年目、二年目の看護師さんがたくさんいました。
みんな本当によく頑張っていました。
でも、
先輩へ報告する時は、
いつも怯えていました。
少しでも報告が遅い。
少しでも説明が足りない。
すぐに厳しい言葉が返ってくる。
新人だから。
一年目だから。
そういう空気が病棟全体にありました。
だから、
みんな始業一時間前には病棟へ来て情報収集をする。
夜勤明けでも帰れない。
休日でも病棟会には強制参加。
それでも、
「同期も頑張っているから。」
そう言って辞めようとしない。
私は、
その姿を見るたびに胸が苦しくなりました。
頑張ることは素晴らしい。
でも、
頑張る人ほど壊れてしまう環境だったのです。

みんな本当に真面目でした。
だからこそ、余計につらかったんです。
人を診る病院が、人を大切にできていなかった
もう一つ、
忘れられない光景があります。
病院は60床。
でも、
患者さんは62人、63人いました。
病室が足りない。
だから、
ナースステーション。
処置室。
そこへベッドを置いて患者さんが生活していました。
パーテーション一枚で仕切られた空間。
一日中ついたままの照明。
その場所でオムツ交換を行う。
私は、
言葉を失いました。
もちろん、
病院側にも事情があったのかもしれません。
救急を断れない事情。
地域医療を守る使命。
私の知らない背景もあったでしょう。
それでも、
私は思いました。
「患者さんの尊厳は、どこへ行ってしまったんだろう。」
その疑問は、
最後まで消えませんでした。

病院にも事情はあったのかもしれません。
でも、私はどうしても納得できませんでした。
私の心が折れた急変対応

そして、
私がこの病院を辞めようと思った最大の出来事。
急変対応です。
この病院では、
急変が起こると最初に来るのは研修医でした。
研修医で対応できなければ、
その後に指導医を呼ぶ。
そんな体制でした。
ある日、
私が関わった急変。
研修医が必死に挿管を試みます。
でも、
なかなか入らない。
時間だけが過ぎていく。
その後、
指導医が到着しました。
でも、
患者さんは助かりませんでした。
脳死状態になってしまいました。
どこの病院でも、
助けられない命はあります。
それは分かっています。
でも、
「本当にこの流れで良かったのか。」
私はどうしても納得できませんでした。
上司にも聞きました。
「この体制で本当にいいんですか?」
でも、
納得できる答えは返ってきませんでした。
あの日、
私の心は折れました。
もう、
ここでは働けない。
そう思いました。

看護師になって初めて、
「ここに居続けることが怖い」
と感じました。
それでも一年間働き続けた理由
「どうしてすぐ辞めなかったの?」
そう思う人もいるかもしれません。
私にも、
その選択肢はありました。
でも私は、
最低でも一年は働こう。
そう決めていました。
転職を決めたのは自分。
本当に合わないのか。
まだ見えていない良い部分があるのか。
それを自分の目で確かめてから決断したかったんです。
一年働いた結果、
私は答えを出しました。
「ここでは幸せに働けない。」
だから、
転職を決意しました。

私は勢いで辞めるタイプではありません。
自分なりに見極めた上で決断しました。
この時の僕は、
「急性期じゃない働き方をしたい」
そう思って転職活動を始めました。
実際に利用した転職サイトはこちらでまとめています。
🌟トラパパおすすめ転職サイト3選
支えてくれたのは、彼女でした

あの頃、
私はまだ結婚していませんでした。
でも、
今の妻と付き合っていました。
仕事が終われば、
家に来てくれる。
私の愚痴を聞いてくれる。
彼女も看護師だったので、
話をよく理解してくれました。
彼女も仕事の話をしてくれる。
お互いに愚痴を言い合って、
笑って、
また頑張ろうと思えた。
もし、
彼女がいなかったら。
私はもっと早く心が折れていたと思います。
そして一年が経った頃、
私は自然と考えるようになりました。
「この人と、ずっと一緒にいたい。」
だからこそ思いました。
この病院のまま結婚してはいけない。
もっと安心して働ける病院へ行こう。
もっと胸を張って、
「大丈夫だよ。」
と言える職場へ行こう。
それが、
次の転職を決意した本当の理由でした。

彼女がいたから、
あの一年を乗り越えられたんだと思います。
今なら29歳の自分へ伝えたいこと

29歳の私へ。
有名だから。
大きいから。
綺麗だから。
そんな理由だけで病院を選ぶな。
建物ではありません。
ブランドでもありません。
働く人です。
病院の文化です。
そして、
もう一つ。
エージェントは、
求人を紹介する人ではありません。
あなたが知らない内部情報を教えてくれる人です。
あの時、
「忙しいですよ。」
その一言を、
私は聞き流しました。
今なら分かります。
あれは、
私を守ろうとしてくれていた言葉でした。
だから、
これから転職するあなたには伝えたい。
気になる病院ほど、
良いところだけではなく、
悪いところも聞いてください。
複数の転職エージェントから話を聞いてください。
情報を集めてください。
それが、
転職成功への一番の近道です。

あの時もっと話を聞いていれば…。
今でもそう思うことがあります。
まとめ
病院選びで人生は変わる
この病院で私は、
たくさん苦しみました。
でも、
この一年があったからこそ、
私は学びました。
- 憧れだけで病院を選ばないこと
- 病院の文化を見ること
- 働く人を見ること
- 情報収集の大切さ
- 転職エージェントの内部情報は必ず聞くこと

私はこの失敗を経験してから、
必ず複数の転職エージェントに相談するようになりました。
病院名だけでは分からないことが、本当にたくさんあるからです。
🐯トラパパおすすめ看護師転職サイト

「もっと早く知っていれば…。」
これが第4話を書いていて一番強く思ったことです。
私と同じ失敗をしてほしくありません。
気になる病院ほど、複数の転職エージェントから内部情報を聞いてみてください。
「求人票だけでは分からない職場の雰囲気や内部情報を知ること」
それが、私が6回の転職で学んだ一番大切なことです。

🌟トラパパおすすめ転職サイト3選
次回予告
ブラック病院を辞めた私は、
「もっと患者さん一人ひとりと向き合える看護がしたい。」
そう考え、
回復期リハビリテーション病棟へ転職します。
そこでは、
主任への昇進。
認定看護師資格の取得。
そして、
結婚、新居、第一子の誕生。
看護師としても、
一人の男性としても、
人生が大きく動き始めました。
第5話では、私の看護師人生で最も成長できた病院のお話をします。

このブラック病院での一年は、本当に苦しかった。
でも、この経験があったからこそ、
次の病院で大きく成長することができました。

