回復期病院で手に入れた、仕事よりも大切なもの
こんにちは!「トラパパ@サバイバルナース」です!🐾
前編では、ブラック病院を退職し、30歳で回復期リハビリ病棟へ転職した私が、「治す看護」ではなく「人生を支える看護」と出会ったお話をしました。
退院支援。
家族支援。
多職種連携。
急性期では学べなかった看護を知り、私は毎日が新鮮で、とても充実していました。
でも、この病院で変わったのは、看護観だけではありません。
私自身の人生も、大きく動き始めたのです。
前回の記事はこちら
「この人と一緒に人生を歩みたい」
第3話でも少しお話ししましたが、この頃、私は現在の妻とお付き合いをしていました。
出会いは前の病院。
忙しい毎日の中でも、お互い看護師ということもあり、仕事の話をしたり、休日に出かけたり。
一緒にいる時間が増えるたびに、自然と感じるようになったことがあります。
「この人となら、この先もずっと一緒にいたい。」
特別な出来事があったわけではありません。
何気ない日常。
仕事帰りに食事へ行く時間。
休日にのんびり過ごす時間。
疲れていても、妻と話していると自然と笑顔になれる。
そんな日々の積み重ねが、「結婚したい」という気持ちに変わっていきました。

「毎日一緒にいて楽しい。
この人となら、どんな人生でも歩いていける。
そう自然に思える相手でした。」
子どもの頃から決めていたプロポーズ
実は私には、小さい頃から一つだけ決めていたことがあります。
ディズニーランドで見たガラスの靴。
子どもの頃、そのガラスの靴を見て、
「いつか結婚する時は、これを渡してプロポーズしよう。」
そう思っていました。
大人になっても、その気持ちは変わりませんでした。
だから私は、その約束を守ることにしました。
「結婚しよう」

付き合った記念日。
少し緊張しながら、私はガラスの靴と手紙を用意しました。
ドラマのようなかっこいい言葉は思い浮かびません。
だから、私らしく。
シンプルに伝えました。
「結婚しよう。」
妻は少し驚いた表情をしたあと、
笑顔で、
「うん。」
そう答えてくれました。
あの瞬間の気持ちは、今でも忘れられません。
嬉しい。
でも少し照れくさい。
そして、
「本当に家族になるんだ。」
そんな不思議な感覚でした。

「人生で一番緊張した瞬間だったかもしれません。」
夫婦としての新しいスタート

その後、私たちは入籍しました。
そして、一緒に暮らし始めます。
それまでは一人暮らし。
仕事が終われば静かな部屋へ帰る毎日でした。
でも帰宅すると、
「おかえり。」
そう言ってくれる人がいる。
他愛もない話をしながら夕食を食べる。
休日の予定を一緒に考える。
スーパーで買い物をする。
そんな何気ない毎日が、とても幸せでした。
「一緒に暮らすって、こんなに温かいんだ。」
私は毎日のように感じていました。
妊娠が分かった日
しばらくして、妻から一つの報告がありました。
「赤ちゃんができたよ。」
嬉しかった。
もちろん嬉しかった。
でも、その瞬間は実感が湧かなかったんです。
「自分が父親?」
「本当に?」
そんな気持ちでした。
でも一つだけ、すぐに思ったことがあります。
「妻の身体を一番大切にしよう。」
男性は、妊娠することも、出産することもできません。
だからこそ、自分にできることは何でもしよう。
そう決めました。

「父親になる実感はまだありませんでした。
でも『守らなきゃ』という気持ちは一気に大きくなりました。」
人生で一番泣いた日
そして迎えた結婚式。
今でも人生で一番泣いた日だと思います。
特に忘れられないのが、
母への手紙です。
私は母子家庭で育ちました。
決して楽な生活ではありませんでした。
それでも母は、
私を看護学校へ通わせ、
ずっと支えてくれました。
手紙を読み始めた瞬間、
いろいろな思い出が一気に込み上げてきました。
涙が止まりませんでした。
会場には親族や友人がたくさんいました。
それでも止まりませんでした。
それくらい、
母への感謝があふれていました。
今でも、あの日以上に泣いた日はありません。
父親になった日

31歳。
第一子となる長男が生まれました。
予定日が近づくと、病院にもお願いして休みを取らせてもらいました。
立ち会い出産。
妻が必死に頑張る姿。
元気な産声。
初めて抱っこした息子。
どれも一生忘れません。
「女性って、本当にすごい。」
心からそう思いました。
10か月もの間、お腹の中で命を育て、
命がけで出産する。
男性には絶対に代わることのできない役目です。
だから私は、
妻に感謝しました。
そして、
息子にも感謝しました。
「私たちのところへ来てくれてありがとう。」
その言葉しかありませんでした。

「子どもが生まれた瞬間、
『この子を守るのが自分の役目なんだ』
と心から思いました。」
父親がいなかった私だからこそ
私は父親の記憶がありません。
母子家庭で育ったため、
「父親ってどんな存在なんだろう。」
ずっと分からないままでした。
だから私は決めました。
「自分が子どもの頃に欲しかった父親になろう。」
正解は分かりません。
今でも試行錯誤です。
でも、
子どもたちにとって、
安心できる存在でありたい。
いつでも味方でいたい。

その気持ちは、あの日からずっと変わっていません。
家族のために、新しい家を建てる決意

長男が生まれてから、私たち夫婦は将来について話し合うことが増えました。
「この子が大きくなったら、どんな場所で育ってほしい?」
そんな会話を何度も重ねました。
私の中には、一つだけ強い思いがありました。
「庭付きの家で、思いきり遊ばせてあげたい。」
私は母子家庭で育ちました。
もちろん不幸だったわけではありません。
でも、自分に子どもができたら、
自分が子どもの頃に憧れていたような家庭をつくりたい。
そんな思いがありました。
休日には庭で遊び、
夏にはプールを出して、
家族みんなで笑う。
そんな何気ない幸せを、子どもたちにプレゼントしたかったのです。
そして私たちは、新居の購入を決意しました。
家が少しずつ完成していく様子を見るたびに、
「本当に自分たちの家ができるんだ。」
そんなワクワクした気持ちになりました。
家具を選び、
家電を選び、
カーテンを選び、
妻と相談しながら一つひとつ決めていく時間も、本当に楽しい思い出です。
家は建物ではなく、家族の思い出を積み重ねる場所
なんだと、この時初めて感じました。

「完成していく家を見るたびに、
家族の未来まで形になっていくようでワクワクしていました。」
第二子の誕生
新居での生活にも慣れてきた頃、
もう一つ、大きな幸せが訪れます。
第二子となる次男の誕生です。
一人目の時と同じように、
病院へお願いして休みをいただき、
今回も立ち会い出産をすることができました。
二回目だから慣れている…
そんなことは全くありませんでした。
やっぱり感動する。
やっぱり嬉しい。
元気な産声を聞いた瞬間、
自然と涙が出そうになりました。
そして今回も、
真っ先に思ったことがあります。
「ありがとう。」
妻へ。
そして、生まれてきてくれた息子へ。
命が誕生する瞬間は、
何度経験しても奇跡です。
男性には代わることのできない役目を果たしてくれた妻には、
感謝しかありませんでした。
私は改めて思いました。
「家族を守れる父親になろう。」
その気持ちは、一人目の時よりも、さらに強くなっていました。
守るものが増えたからこそ挑戦できた

ある日、師長さんから声を掛けられました。
「トラパパさん。
回復期リハビリテーション認定看護師を目指してみませんか?」
病院としては初めての挑戦。
正直、驚きました。
そして少し迷いました。
「自分なんかでいいんだろうか。」
「本当に務まるのかな。」
そんな不安がありました。
家に帰り、その話を妻へすると、
妻は迷うことなく言いました。
「やってみたら?」
その一言に背中を押されました。
もし独身だったら、
きっと断っていたと思います。
「面倒だから。」
「大変そうだから。」
そんな理由をつけて逃げていたかもしれません。
でも、この頃の私は違いました。
守るべき家族がいる。
応援してくれる妻がいる。
だから、
「やるなら本気で頑張ろう。」
そう決意しました。

「独身だったら断っていたと思います。
家族がいたから挑戦できました。」
学ぶ楽しさを知った
認定看護師の研修は、決して楽ではありませんでした。
座学。
レポート。
実践。
評価。
学生時代以来と言っていいほど勉強しました。
それでも、不思議と嫌ではありませんでした。
全国から集まった看護師さんたち。
男性看護師も多く、
いろいろな病院の話を聞けることが、とても新鮮でした。
「こんな考え方もあるんだ。」
「この病院ではそんな取り組みをしているんだ。」
毎日が刺激の連続でした。
そして私は気付きました。
「大人になっても、人は成長できる。」
勉強することが、
こんなに楽しいと思えたのは初めてでした。
努力した結果、
認定試験にも合格。
病院で初めてとなる
回復期リハビリテーション認定看護師になることができました。
主任という新しい責任

認定取得から間もなく、
再び師長さんに呼ばれました。
「主任をお願いしたい。」
思わず聞き返しました。
「私がですか?」
正直、自信はありませんでした。
この病棟には主任がいなかったため、
主任という役割を間近で見た経験もありません。
人の上に立つ姿なんて、
想像もできませんでした。
そんな私の背中を押してくれたのも、
やはり妻でした。
「あなたならできるよ。」
その言葉は大きな支えでした。
さらに、介護主任さんからも忘れられない言葉をいただきました。
「役職が人を育てるんだよ。」
その言葉に勇気をもらい、
私は主任を引き受ける決意をしました。

「主任なんて想像もしていませんでした。
でも家族や仲間の言葉が、一歩踏み出す勇気をくれました。」
幸せの裏で始まっていたこと
結婚。
子どもの誕生。
マイホーム。
認定看護師。
主任昇格。
振り返れば、
人生で一番幸せだった時期だったと思います。
でも、その一方で、
責任も少しずつ増えていました。
病棟運営。
スタッフ教育。
委員会活動。
認定看護師としての役割。
そして、
家庭では二人の子どもの父親。
充実していました。
でも、
気付かないうちに、
少しずつ心も体も疲れ始めていたのです。
この時の私は、
まだ知りませんでした。
この先、
人生で初めて経験する大きな挫折が待っていることを。
それは、
鏡を見るたびに胸が苦しくなるほどの出来事でした。
そして、その経験が、
私を6回目の転職へ向かわせることになります。

まとめ|人生は、仕事だけではできていない
回復期病院で過ごした日々は、
私にたくさんのものを与えてくれました。
看護師としての知識。
患者さんや家族を支える視点。
認定看護師という資格。
主任という経験。
そして何より、
妻と結婚し、
父親になり、
家族を持てたこと。
仕事だけを見れば、大変なこともたくさんありました。
でも人生全体で考えると、
この病院で過ごした時間は、私にとってかけがえのない財産です。
だから私は今でも思います。
転職は、仕事を変えるだけではありません。
人生そのものを変えるきっかけになることがある。
もし今、あなたが転職に悩んでいるなら、
給与や休日だけではなく、
「どんな人生を送りたいか」
という視点でも職場を選んでみてください。
その選択が、数年後のあなたの人生を大きく変えているかもしれません。

「私は転職するたびに、
仕事だけでなく人生も変わってきました。
あなたにも、自分らしく働ける職場がきっと見つかるはずです。」
💡転職を考えているあなたへ
私は転職を重ねる中で、一番大切だと感じたのは病院の内部情報でした。
求人票だけでは分からない職場の雰囲気や人間関係、働き方を知ることで、自分に合う職場を見つけやすくなります。
私自身も複数の転職エージェントを活用したことで、最終的に「家族との時間を大切にできる職場」と出会えました。
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次回予告
順風満帆に見えた回復期病院での生活。
しかし、主任としての責任は想像以上に重く、
私は仕事のストレスから円形脱毛症になるほど追い詰められていきます。
そして、家族を守るために選んだ次の道――。
🌟トラパパのプロフィールはこちら

